「私には才能がある。それを極めることが、本当に自分の人生のを幸せにするのだろうか?」
ふと、そんな疑問が頭をよぎることがある。
そして世間はきっとこう言うと思う。「才能があるなら極めるべきだ」「もったいない」と。
でも、本当にそうなのか? 誰かの期待に応え続けた先に、自分自身が心から満たされる場所はあるのか?
もし、あなたが今「才能」と「幸せ」の間で立ち止まっているなら、この記事は、そのモヤモヤに終止符を打つヒントになるかもしれないと思う。
1. 才能は「使命」じゃない。ただの“入口”にすぎない
多くの人が陥る大きな誤解は、「才能=人生の使命」だと捉えてしまうことだと思う。
「君には〇〇の才能があるから、その道に進んだ方がいいよ」
僕はこの言葉を聞いたらイライラするほど耳にした。しかし、これは突き詰めれば「誰かにとって都合のいい視点」でしか無いと思う。
👉 才能というのはただの入り口
才能というものはきっかけのひとつでししかなく、その先に
- 心の底からの喜びがあるか
- 飽くなき成長の実感があるか
- 何よりも生きてる実感があるか
それらを確かめずに、「才能だから」という義務感や使命感だけで奥まで進んでしまうとどうなるか?
「見せかけ上は成功している虚しい人生」が完成すると思う。
技術は一流、評価も高い。だけどなぜか心が満たされない。才能に恵まれ、それらを極めた人が味わう異質の苦しみがあり、そうして孤独になってしまうことが多いと僕は考える。
2. 極めることが「苦しい」なら、その才能の“使い道”がズレている
「極める」という言葉に息苦しさを感じるなら、それは自分の問題では無く才能の「使い方」が間違っている可能性が高い。本来の才能はむしろ燃料となり、前に押し出してくれる。
ということで真の才能の特徴を挙げたいと思う。
- 努力はするけどそれが間違っていると思えない
- しんどい時に「やめたい」より「もっと知りたい」が勝つ
- 誰かの評価ではなくただ純粋にやってしまう
もし、あなたが「極めろと言われると難しい」「期待されるほど辛い」と感じるなら、それは才能を「看板」とか「義務」として使っている可能性が高い。
本来、才能は自分の「意志」を加速させるためのツールであるはずだ。
3. 幸せは「才能」だけでは決まらない
では、真の満足度と幸せを掴むために必要なものは何か?
僕の答えはこうだ。
才能×意思×世界観
才能があるか、ではなく、「自分の意志がそこに乗っているか」が全てを決める。
僕が求めているのは「自分の生き方」を極めること
このブログを読んでくれたあなたが今回の記事を理解出来たのなら、きっと僕と同じタイプの人間だ。
- 才能を「看板」にされるのが嫌。
- 極めるなら、自分の物語として極めたい。
- 既存の型の“一流”にはなりたくない。
だから、問うべき順番が違う。「才能を極めるかどうか」ではなく
「自分の生き方を極める過程で、その才能をどう使うか」
この順番でなければ真の幸せには繋がらない。
才能を主役にせず「自分の生き方」が主役であり、才能はアイテム(使うかどうかは自分次第)。これが僕の答えだ。
4. 最後に:才能を「燃料」として使い切る人生
つまり、才能を「捨てる」のも「極める」のもどちらも正解になる世界線がある。
大切なのはたった一つ。
👉 「才能に人生を決めさせていないか?」
これに尽きると思う。
あなたが本当に求めているのは、「才能を極めること」ではなく、「自分を裏切らずに、全力で生き切った感覚」のはず打と思う。
だから、今の問いはこう言い換えられる。
「才能を極めるべきか?」→「自分が納得できる“生き方”を極めているか?」

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