答えが出ないまま生きてみることにした

みんなおはよーたけるだよ

突然だけど最近、未来とか将来のことを考えすぎることをやめてやったぜ

正確に言うと、もう、考えすぎるのを放棄した。降参ですって感じ笑 「諦めた」ってネガティブに聞こえるかもしれないけど、これは超ポジティブな話よ。

それはなぜかって?ずっと答えを探し続けている自分がいたからなんよ

1. 答えが欲しかったんじゃない。多分「安心」が欲しかったんだと思う

「何を目指せばいいんだろう」 「どんな生き方が、いわゆる”正解”なんだろう」

この問いに、どれだけ時間を溶かしてきたか。 寝る前、電車の中、シャワー中。暇さえあれば脳内で答えを探していた。だからその暇を無くすために大人数で騒いだり、一人で旅に出たことだってある。でも心の中のモヤモヤはいつも消えなかった。それはいつも答えを探している自分がいて、今を全力で生きていなかったからなんだよな。

結局、どれだけ探しても納得できる答えなんて見つからなかった。

やりたいこと? ある。 興味? 好奇心? 衝動? 全部確実にある。

それなのに、それを一本の綺麗な「目標」とか「ビジョン」とかいう名前にまとめてやろうとすると、急に全部が嘘みたいに白々しくなってしまう。(つまらなく感じてしまう)

たぶん、これに気づいたのがデカい。

僕が本当に欲しかったのは、「答え」じゃなかった。きっと「安心」だったんだと思う。

未来が見えないと不安になる。周りがサクサク進んでいるように見えると、「ああ、自分だけ止まってる」って焦る。 だから、「正解っぽい言葉」や「誰もが納得する生き方」を求めて、ずっと生き急いでいた。要は、周りと同じレールに乗って安心したかった、ただのチキンだったって話。

ただ考え続ける分、がむしゃらにでも行動してそれなりの結果はついてきた。僕の場合は承認欲求では無い。周りに合わせる自分も作れるし、自分自身はどうあるべきかを常に考えて、何にでもなれる自分を作ろうとしてきたし、今ではその精度も上がってきている実感がある。それによって自分に自信がつく瞬間もあるけど、常に頭の中は将来の答えを探している。気分は良くてもどこか虚しさを感じる自分がいた。現状に満足する瞬間が一切無かったってこと。

これは自分軸にも見えるけど完全に他人軸。自分をその環境の役割としてしか見れていなかった。この環境や状況ではどうすることが自分と相手にとって最適で最も効率が良い選択肢なのか。常にそういったことを考えながら生きてきた。win-winの関係を作ることだけが全てではないと思っているから。(完全にINTJの考え方だね笑)

きっと完璧を常に目指していたんだろうね。だし、絶対に失敗したくなかったんだろうね。

だけど失敗の繰り返しが今の自分を作っていることに気づいて、いつの間にか行動に移すまでに考えすぎるようになっていることにも気づいた。そこから、「失敗したから良かったんじゃん」って思うようになったし、完璧では無いことは人間として素晴らしいことだと言うことがわかった。(ここら辺の話しはまた別の記事で書きます)

だから、どうあるべきかを頭で考えるのではなく、本当はどうしたいのか、自分は純粋に何を欲しがっているのか、何処に違和感を感じるのかなどの感情をすぐ言語化したりインプットしようとしたりせずに、身体や心で感じ取っていかないと、言語化できない辛さや悩みをずっと抱え込んだまま生きていく事になると思った。

この生き方が間違っているとは思わないけど、このままではどれだけ成果を出しても素直に喜ぶことの出来ない人間になってしまうと思った。だから現状に満足しながら将来もずっとその満足度を上げていきたい。そもそも正解や不正解を考えている時点で何らかの制約を結ぶ事になってしまう。自分から制約は作りたくない。法律だけで十分なのよ。ルールとしての正解があるのならそれだけは守るけどそこ何の感情も抱かないようにしたいし、善悪とかも考えたくない。「ただダメといわれているからやらないだけ」みたいな感覚みしたい。そこを無理に考えようとすると勝手に思考が暴走して自分の首を絞めることになるかもしれないし、首を絞めてる自分にすら気付かない状態になってしまうと思った。もしそれでもルールや制約に不満があるのなら、自分が生きやすい環境に移動するという「逃げ」の選択を取っていきたい。

2. 「答えが出ない状態」が僕のデフォルト設定だった

そんな自分が嫌で、無理やり目標を立てては、「なんか違う」って言って壊してきた。 その繰り返しで、ずっと疲れていたけど、最近ふと思ったんだよね。

答えが出ない状態そのものが、今の自分自身なんじゃないか?

無理に結論を出して型にはめようとするから、全部が嘘くさくなるんじゃないか。

だって、僕の興味って、常にフワフワして定まらない。一つのことを突き詰める才能も、もちろんあると思うけど、それ以上に「あ、こっちも面白そう!」ってすぐ横道に逸れたくなる。

その「横道に逸れる衝動」こそが、僕の個性であり、本質なんじゃないか?ってね

無理に「軸」を定義しなくてもいい。 今はただ、

感じたことをそのまま感じて、 やりたいと思ったことをやってみる。

それだけで「生きていていい」んじゃね?

3. 「答えを出さないまま進む」は、最高の自己肯定

「目標を決めないなんて、逃げじゃないの?」

昔の僕ならそう言っている気がする。 でも、今の僕の意見では

答えを出さないまま進むのは、逃げでも、甘えでもない。

むしろ、これは究極の自己肯定だ。

  • 世間の「正解」を拒否する勇気
  • 自分の「わからない」という状態をそのまま受け入れる正直さ
  • 未来の地図を持たずに、足元の感覚だけを信じて歩く信頼

「わからないままでも歩ける」という、この動物的な感覚を信じてみることにした。 それは、誰かに言われた目標を追いかけるよりよっぽど大変でよっぽど真剣な生き方だろ笑

もし今、あなたが自分だけ立ち止まっているように感じていても、それは間違いじゃないかもしれない。

大丈夫。

答えが出ないまま生きている人間は、思っているよりちゃんと前に進んじゃってるから笑

むしろ、答えという名のゴールテープを自分で引きちぎり、どこまでも走り続けている猛者なのかもしれないね

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